【お知らせ】
仮想居酒屋あっとほうむはじめました。
詳しくはHPをご覧ください。
今回のコロナウィルスで決して大袈裟ではなく誰もが岐路に立たされていると感じています。
誰もが。
誰かに何かを伝えたいわけじゃないんですが、なんとなく想いをつらつらと書いてみようかと思います。
ホームレスやってみて思うこと
正確にはよくわからないんですが実はかれこれもう2年くらいホームレスをやってます。
ホームレス…路上で寝てるの?と思われるかもしれませんが、流石にそれはしてません。
現在仕事をしている山梨県には実家もあるんですが、そこにはほぼ帰らずに運営している店舗で寝泊まりしたり、車で寝たり、何かそんなことをしています。
住宅関係の仕事をしてる人からは怒られそうですが、個人的には家っていらないと思っています。
事実家がなくても何も困ることがなくて生きていくことができてます。
その考えの根底には【リュック1つで2年弱世界を旅した経験】というものがあります。
当然ですが、旅をするわけですから家なんか必要ありません。
だけど生きていけてたのです。
必要としてたものは寝床や居場所なのであって、家ではありませんでした。
だから厳密に言うと”必要性を感じなくなった”のです。
同じ要領で衣類も食も。
ファッション関係の方にはごめんなさいなのですが、服もいらなくなりました。
世界を旅する前は靴だって10足以上持ってたし、服もたくさん持ってました。
美容師として働いていたという部分が大きかったにせよ、あんまり着ない服なんかもたくさんあって、それでも買い足してたんですね。
今はほぼほぼ同じ格好をしてます。
ダサいと思われたくないので、気は使いますがたくさんは持たないという感じです。
それでも全然生きていけます。
仕事とかで必要なものでもわざわざ高いものを買わなくなりました。
本当に必要ならそれがいくらであろうと買いますが、どっちでもいいやというものは中古ですませます。
スマホ→10000円で購入し、月々3000円くらい
パソコン→20000円で購入
問題なく仕事ができています。このブログもその中古スマホから書いています。
WEBの仕事をしている僕には10万円のアイフォンは必要ありません。
車も日産のセレナに乗っています。
中古車検付きで15万円でした。
型が古いだけでなんの問題もありません。
愛猫の高菜と九州一周の旅も余裕でできました。
たまに車でも寝ます。
なんか、そんな感じでも生きていけるのです。
僕が所有しているものは実はほとんどないんです。
事業用の店舗とそれに関連する備品の数々はありますが、厳密にいうと会社のものであって、事業がだめになれば手放します。
今回のコロナで経営者は大変な思いをしてると思いますが、僕もそうです。
いくつかの店舗は手放そうかとも考えています。
先日こんな記事を書きましたが…
心配してくれる方もいると思うんですけど、破綻じゃなくて長期的に考えて仕切り直しをしようと思っての事です。
物を持たない。物にお金をかけない。
これはある意味で生産者さんたちに対するアンチテーゼととらえられても仕方がない行いですが、そういう意図はありません。
何を伝えたいかというと、物がなくても決して不幸ではないということ。
お金→物とエクスチェンジして、幸せを得るというのはあると思います。
だけどそれが全てでは実はないのです。
つまりお金がないことと、幸せであることはイコールではないのです。
資本主義社会の日本において、ここを勘違いしてしまう人がすごく多いと感じます。
社会の仕組みとして、物を持つことや生活を維持すること(衣食住)にお金がかかり、そのお金を得るためには仕事をしなければいけない。
そう考えている人がほとんどなのだなと改めて思います。
お金と生活と幸せのバランス
なぜ収入が増えても貧しい人がいるのか?
その答えは生活レベルの上昇だと思います。
つまり家とか買ってしまうとローンという支出が新たにできますので、アップしたぶんの収入が事実上なくなったり、むしろマイナスになることもありえます。
それでも成り立っているときは幸せであると感じるはずなのですが、収入がなくなってしまうとローンが憎しみの対象になるでしょう。
【家なんか買わなければ…】とか後悔してしまうかも知れません。
心のバランス、幸福度がお金に左右されている状態ですよね。
でも人って本来はお金に依存せずとも生きられるはずなんです。
今世の中にある様々な物がなくても人間は生きてこれたのだから。
便利ではないかもしれない。
娯楽もなかったかもしれない。
それでも、不幸だったのだろうか?と考えることがあります。
これはフィリピン人の友達の家(スラム)に遊びに行ったときや、これまた友達のフィリピン人のホームレス一家と飲んでたときに感じたことなのですが、ないなら無いなりに楽しそうだなと思ったんです。
スラムの家は家賃1000円だそうです。ボロ狭でした。
でも彼はスマホを持っていす。
Facebookもやってます。
数日前にもメッセージが来ました。
今はそういう世界なんだと思います。
インターネットにより人との繋がりもいくらでも作れる。
友達もできる。
家族とも暮らせてる。
幸せのかたちも様々なのです。
僕たちは今岐路に立たされています。
ニュースを見てもSNSを見てもコロナと同じくらいお金の話を目にします。
僕も小さいとはいえ経営者ですから、会社や事業や社員の事を考えると当然お金のことも気にします。
けど、僕自身は車でネットでなんか仕事作ったり、アートでなんか作って売ったりして日銭を稼ぎ、車で寝泊まりしながら釣りとかしつつ猫と旅するような生活でも良くて。
ガソリン代とその日のビール代くらいあれば。
お金が稼げなくても僕は髪が切れるしいろいろできるのでビールや食料と交換でもいいかな…とか。
それでも人とは出会えるだろうし楽しいと思う。
幸福だと感じることもきっとできると思う。自分のことだからわかるけどそういう生活は嫌じゃない。
今って、もしかしたら少し考え直すタイミングなのかもしれません。
お金がなくても物がなくても生きていくことはできます。
生きていればいくらでも幸せは見つけられる。
愛情はお金でかえますか?
パートナーは所有するものですか?
自由はモノですか?
本当に手にしたいもの、本当に手に入れたい幸せとはなんなのでしょうか。
それはどうすれば手に入るのでしょうか。
もしかしたらすでに手にしているのにローンとか収入とかお金にとらわれすぎて見失ってしまっているかもしれません。
お金と物がないことは不幸だというマインドはリセットしてもいいと思います。
あなたにとって本当の幸せとはなんですか?