【町おこしが成功しない理由・シャッター商店街がなくならない理由】
なんかみんな本当にこのままでいいの?
地域おこし協力隊・町おこし協力隊
このような言葉を聞いたことがあるだろう。
東京やら都会から移住してきて「町に人を呼ぼう!活気を取り戻そう!」みたいな感じで街の名産や名所をPRしたり、文化や歴史を発信したり。
役所や自治体も観光客や移住者を誘致できれば嬉しいので一緒になって盛り上げる。
ところがたいていうまく行かない。
理由は地元民が非協力的だからだ。
「そんなもの価値がないよ」
「今の生活で十分」
「よそ者…」
新しいものに興味がなく、どれほど価値があるものでも「昔から当たり前にある」というだけで無価値だと決めつけてしまう。
シャッター商店街に関しては、店の経営がどうのこうの以前に不動産オーナーが物件を貸さないのだ。
それも「価値がない」との思いがある。
不動産オーナーが高齢者になり、今他の収入で生活ができてたりすると「建物を修繕してまで貸すのはめんどくさい」みたいな事になる。
だからシャッターが閉まってる。
そこでお店をやりたい人はたくさんいるにも関わらず”やれない”が正しい。
永遠に開かないシャッター。非協力な人々。
活気が出るはずもない。
例えば僕の地元の山梨県富士吉田市では世界遺産になったにも関わらず、相変わらずこのような声を聞く。
世界が認めた富士山だ。
そりゃ観光客もバカスカ来る。
世界が勝手に町をおこしたのだ。
それに対してとにかく慣れ親しんだ街の変化を受け入れることができない気持ちもわかる。
でも状況は変わったのだ。
環境は外的要因に左右されてほぼ強制的に変わることはあり得る。
例えば法律もそう。
政治家が変われば法が変わる、法が変われば様々な規制と解禁が起きて人々の生活が変わる。
それと同じように、世界遺産認定、SNSでバズる、画期的アプリの登場など様々なものによって常識は”変えられて”しまう。
それにさえも何故反発してしまうのか。なぜ受け入れないのか。
地元に戻っていろんな事をやって1年ちょっと経つけど、時々すごく悔しくなる時がある。
やはり「よそ者がなんかやってる」という態度をとられる事がたくさんある。
12年離れた町だ。僕もよそ者だと自分で思ってる。
でもやってる事には理由がある。
僕は世界をまわった。世界で”外国人”をやってきた。
国が違えど、文化や食べ物が違えど、それでも人は人だと知った。
よそ者外国人である僕は、世界で生きる多種多様な人々から多大な恩を受け、その恩を食って生きてきた。
きっといつかボケても忘れられないようなあの出来事、あの人、あの街、あの国。
日本を訪れる誰かに恩を返したいという想いが根底にある。
日本に来てくれてありがとう、山梨に来てくれてありがとう…という想い。
それが理由だ。
他にも地域で雇用を作りたいとか、親がいつか働けなくなったときの居場所を作りたいとか、自分自身で足跡を残したいとかいろいろある。
いろいろあるからやってる。
僕は「町おこしやるぞー!」とも言ってないし、1人(1社)で行政の援護もなければそんなだいそれた事が出来ると思ってない。
逆に町を壊してるつもりも、迷惑かけてるつもりもない。
それでも批判・反発されるのだ。
昨日本当に残念だったことがあって。
僕は居酒屋も地元でやってるんだけど、昨日地元の団体が来てくれて。
スタッフ一人じゃキツイから手伝ってた。
僕の店ではオープン当初から【完全禁煙】を貫いているにも関わらずコソッと室内で吸いやがって。
個室だったから帰るまで気が付かなかったんだけど、僕より1〜2歳年上くらいのいい大人がなんでそういうことするのかと。
他の奴らはなんで止めないのかと。
30過ぎても学生ノリかよと。
群れれば何してもいいのかと。
地元には貯金会と呼ばれる地元にしかない風習がある。
10代の頃仲良かったグループで会を結成し、毎月飲み会&お金を積立てするというもの。
お金がたまったら旅行とかに行くらしい。
20歳くらいからおじいちゃんになって亡くなるまでずっと行う。毎月。
結束力は強くなるだろうし、楽しいのだと思う。
僕はこんな性格だからそういうの苦手でやってないけど、基本みんなやってる。親もやってる。
居酒屋やってて客観的に見てると、大人もみんなその時は子供に戻る感じがする。
高校生のような口調、話し方、騒ぎ方、飲み方になる。
もちろんみんながみんなではないけどそういう印象。
楽しくなるのは別にいいけど、ちょっと考えたらどうですかと。
なんで【完全禁煙】なのか考えないのかなと思った。
海外の特に先進国では室内でタバコを吸えるところなんか存在しない。
ホテルやBARでも、たとえ吹雪でも「外で吸え」がルール。
日本は喫煙に関してのルールがあまりにも遅れていて、今は喫煙所が減ったけど、店内ならどこでも吸っていい。
世界基準でみたら店員の前でも子供の前でもバカスカ吸うなんてあり得ないこと。
海外にかぶれたと思ってもらって構わないが、僕は店内禁煙のほうが正しいと思ってる。
まず臭い。もうこの時点でアウト。
僕もずーっと喫煙者だったから吸いたい気持ちはわかる。
わかるけど、臭いもんは臭い。
健康がどうとか受動喫煙防止とかはイメージがわかないけど、単純に海外の人や子供がいる人、タバコが嫌いな人がたくさんいるからうちの店は【完全禁煙】と強く言っている。
「え、タバコ吸えないの?」
みたいに嫌な顔されて言われたこともある。
見渡す限り地元で禁煙の居酒屋は存在しない。
遅れてるとは思うが、別に何もこちらは言わない。
うちはただ【完全禁煙】を掲げているだけ。
それだけで異物のように言われることもある。
よそ者だから?今までの当たり前と違うから?
だから反発するのかなんなのかよくわからない。
別に20歩歩いたら外に出てそこに灰皿置いてあるのに。
それさえ出来ないのかと。
30過ぎたいい大人がコソコソ学校の裏でタバコを吸う中学生みたいにカッコ悪い。
タバコを吸うなと言うわけじゃないけど、いつまで日本ルール、山梨ルールやってんのと思う。
飲酒運転の事故数全国最下位もなんかうなずける。
話しがそれたけど、世界は今日本に注目してくれている。
富士山なんかめちゃくちゃな注目度だ。
それ故たくさんの変化は起こる。
それを鬱陶しいと思うかもしれないけど、受け入れて少し優しくしてあげるだけでお互いいろんなことが変わると思ってる。
近所の居酒屋のおばちゃんが「あんな奴ら来なくていい。わけわからん」と言ってしまう気持ちもわかる。
わかるんだけど、言葉にしないでくれ。
「写真撮っててアイツら邪魔」
そう言いたくなる気持ちもわかるけど、心に留めてくれ。
言葉は伝わる。
伝染していくから。
差別してるつもりがなくても、それが差別になることもある。
日本はパスポート所有率25%くらいで超低いけど、外国に行ったことある人もいるでしょう。
世界遺産あったら死ぬほど写真とるでしょ。
地元の名物食べたくなるでしょ。
そこで「ファック オフ!」とか言われたらどうよ…と。
意味わからなくてもなんかわかるでしょ。
外国人だって「バカ」くらいは知ってる。
日本はもうグローバルだ。
世界とつながってる。
かつて鎖国をし、諸外国と戦争をした日本とはもう違う。
顔が違う、言葉が違う、宗教が違う、マナーが違う、食べ物が違う
外国人と日本人は確かに違う。
でもそれはほんの少しの違いなだけ。
全盲で、色を音で認識する世界初のサイボーグのイギリス人によると、黒人も白人も黄色人もすべて同じ音なのだそう。
結局人は人である。
そしてIotの時代。
どの街も、村も、そして人もモノもインターネットでつながる世界だ。
拒絶するだけ無駄で、むしろ世界の様々な人との共存を国単位ではなく”個々が”していく必要があると思う。
英語も中国語も一切喋れなくていい。
必要なのは受け入れる心のみ。
Hello How are you I’m fine thankyouだけでいいのだ。
そして僕らには伝統と歴史と文化を世界や次の時代へ繋ぐという重要な役割がある。
その中で新しいものはどんどん取り入れ、悪しき習慣、必要がないものは捨てたり変えたりしていかないといけない。
外国人に笑顔で「Hello!」と言うことも、タバコを外で吸うのもお金も労力もかからない簡単なこと。
僕らが変えていかないと子どもや孫たちが困る。
自分のためより、顔もわからぬ誰かのため。
日々の生活の中でほんの少しだけそういう事を考える人がめちゃくちゃ増えたら日本はもっと素晴らしい国であると世界中から評価されるようになると思う。