冷たい猫

冬は嫌いだったはずなのに、いつから寒い寒い冬の朝が好きになったのだろう。

巷では大寒波がニュースになっていたけど、霊峰富士の麓は元々氷点下が当たり前。

寒くて寒くて朝布団から出るだけのことが修行のようにも思えてしまう。

どうしてこんな寒い中でわざわざ服を脱いで着替えなければならないのか。

どうしてこんな寒い廊下をペタペタと歩かなければならないのか。

子供の時からそういうことばかり思っていた。

冬は嫌いだった。

東南アジアとか南の島とかに憧れて旅をしてしまったのはそんな街で育ったからなのかもしれない。

ところが30数年生きてみたら冬が好きになった。

猫というものは一緒に暮らすまではとても不思議な生き物だと思い込んでいた。

ところが蓋を開けてみるとなんてことはない、人間とさほど変わらなかった。

寒いときにはコタツに入るし、夏は涼しいところで寝る。

猫もあんなに毛がモフモフとしているのに寒いものは寒いらしい。

冬になると布団にモゾモゾと入ってくるようになる。

厳密に言うと秋から春にかけてだけど、人間からするとそれが嬉しくてたまらない。

猫と一緒に寝るなんて、考えたこともなかった。

想像したこともなかった。

あんなにいいものだと知っていたら、できるだけ早く猫と一緒に暮らしていたのに。

おそらく東京など暖かい地域の人にはあまり理解されないが、寒い地域というのは布団の中も寒いのだ。

布団が冷たい、布団から少し背中が出るとものすごく寒い。

布団でセルフ巻き寿司のようになって寝ないことにはふとした時に目が覚めてしまう。

長いこと東京で暮らしていたから、あの毛布を何枚もかける感覚は忘れてしまっていたけど、故郷山梨でここ3年ほど暮らしてみて極寒というものが何かということを再確認した。

そんな辛い夜に、巻き寿司の海苔を剥がすようにメリメリと体をねじ込んで布団に暖を取りにくるのが猫なのだ。

頭から布団にツッコんできて、中で方向転換をする。

そして腕のあたりで納まって「…ふぅぅぅ〜」とため息をついて寝始める。

かわいいなと思い、抱きしめてみる。

毎晩その瞬間にハッとしてしまうのが、猫がとてつもなく冷たい。

あんなに毛がモサモサしているのに、ヒエヒエなのだ。

コタツからしたら人間の足もいい迷惑かもしれない。

冷たい足を突っ込みやがってくらいにコタツは思っているかもしれない。

そうか、と思った。

僕はコタツなのだ。

猫が「寝てやろうか?一緒に」と言っているわけではない。

「おお、さむさむ」とか言ってコタツに足を突っ込むおっさんと同じことをしているだけ。

それでもコタツはその冷たい足を頑張って暖めるしかない。

そういう役割だからだ。

僕もせっせと猫の冷えた背中を撫でる。

そのうちにまた眠りについてしまう。

朝がやってきて目が覚めると、まだ猫も腕の中で寝ている。

触ってみると湯たんぽみたいに暖かい。

布団から手を出してスマホをいじっていると手がかじかんでくる。

起きてストーブをつければいいのだけど、布団からどうしても出ることができない。

今度は僕の番だと、冷えた手を猫の腹のあたりに突っ込んで暖をとることにする。

猫は一瞬ピクッと目を開けるのだけど「…はぁぁ〜」とため息をついてまた寝始めるのでどうしても嫌というわけではないらしい。

持ちつ持たれつ、暖めて暖めてもらう。

金八先生の人と言う字はみたいな感じで迎える暖かい冬の朝。

朝がすぎ、お昼がすぎ、部屋に日が差し込む。

太陽の力だけで部屋が暖かくなる。

布団を捨てて日の当たる場所で丸くなっている猫の隣に僕もお邪魔して、ちょっと一緒に昼寝をしてみる。

そしてまた夜が来る。

そんな冷たい猫と過ごす冬が僕はとても好きになったのだった。

この記事をシェアする