聖徳太子の髪型はハゲ?飛鳥時代の偉人の謎に勝手に迫ってみる。

恐らく日本で知らない人はいないであろう聖徳太子…

最近では実はいなかったんじゃないかなんて言われているようですが、どちらにせよ有名人であることには変わりありません。

今日はその聖徳太子の髪型を分析してみようかと思います。

聖徳太子のプロフィール

聖徳太子髪型

本名:厩戸王(うまやどのおう)

通称:聖徳太子(しょうとくたいし)

誕生:574年2月7日

享年:48歳

時代:飛鳥時代

職業:皇族、政治家

まず聖徳太子というのは本名ではないそうです。

日本書紀に登場する呼び名は厩戸皇子(うまやとのみこ)で、厩戸王(うまやとおう)とも呼ばれています。

その名前の由来は何かというと、当時の皇族は生まれた場所を名前にするのが一般的だったそうです。

【飛鳥の地名説】や【馬小屋で生まれた説】などがあり、定かではないですが、蘇我馬子の屋敷で生まれたからだとも言われています。

馬屋→厩みたいな。

現代では馬小屋で生まれるほうが難易度が高いですが、確かにそんな環境で生まれたら関連付けたくなるのかもしれません。

聖徳太子が成し遂げた偉業をいくつかあげてみると…

  • 遣隋使の派遣
  • 冠位十二階の制定
  • 十七条憲法の制定
  • 10人の話を同時に聞く

などがありますね。

恐らく特に有名なのが【10人の話を同時に聞く】というものだと思います。

ある時聖徳太子が人々の話を聞く機会があり、我先にと話す人たちの言葉を漏らさず聞き、ちゃんと答えたという伝説が未だに語り継がれているからですね。

しかし、一説によると“実はひとりずつちゃんと聞いた”のだそうです。

順番にw

まあ本当のところは誰にもわかりません。

他にも聖徳太子は温泉大好きだったようで、愛媛県松山市にある道後温泉にも足を伸ばしたことがあるとかないとか。

実際に道後温泉の”椿の湯”に行くと「聖徳太子が温泉に入りに来ました」みたいな絵と看板があります。

そのとなりには「鶴も昔来てました」みたいな看板もあり、若かりし頃の僕は「マジか…」と思ったような記憶があります。

聖徳太子の髪型はハゲだった??

聖徳太子ヘアスタイル

ここから聖徳太子の髪型について考察してみようと思います。

実は聖徳太子はハゲていたのではないという説があります。

しかしめっちゃ帽子かぶっていますので見えませんw

この赤線で囲ったところが帽子になっており、後ろのクネっとなってるやつも帽子の一部のようです。

ちなみにこの帽子は”冠”と呼ばれ、朝廷に出仕するときにつけなければいけなかったそうです。

残念ながら聖徳太子先生が帽子を脱いだところは見ることができないので本当にハゲかどうかはわからないのですが、ハゲてってことにして話を進めます。

こちらの緑線で囲った部分を見てみると、毛流れが上を向いているのがわかると思います。

これはつまり頭頂か後頭部で束ねているということです。

襟足の毛とサイドの毛を頭頂部付近で束ねるとなると恐らく襟足20cm以上、サイド25cm以上の長さがあったと予想できます。

襟足を見る限りではピチっとしておらず、ゆったりとしてるので25cmくらいはあったように思います。

つまり聖徳太子の髪はかなり長かったということです。

ちなみに20cmというと、一般的に使われるフォークくらいの長さです。

それでいてハゲていた事を考えると、聖徳太子は落ち武者のようなヘアスタイルをしていたと予想でき、もし現代にいたら飲み会で間違いなくイジられてしまいます。

道後温泉の風呂上がりにこの写真と見比べたら「誰?」ってなりそうなレベルですね。

聖徳太子謎

ちなみにこの両サイドにいる子供?たちは”みずら”という髪型をしています。

みずらは貴族の髪型で、「上げみずら」と「下げみずら」というものがあります。

弥生時代は「上げみずら」が一般的で髪の輪が2つの形のものが多かったようですが、飛鳥〜奈良時代では輪っかが1つの「下げみずら」が流行ったそうです。

聖徳太子の両サイドにいる2人は輪っかが1つのみずらスタイルなので【飛鳥時代の男性】ということになりますね。

飛鳥時代みずら

上げみずら

聖徳太子がハゲていたかどうか…実在していたかどうか…は誰にもわかりませんが、なんかやっぱ歴史ってロマンがありますね。

また歴史上の誰かの髪型を勝手に解説してみようと思います。

こちらも合わせてどうぞ。

この記事をシェアする