【世界一周しながら1000人の髪を切る!】そう目標を立てて日本を飛び出してから気づけば1年と2ヶ月がたっていた。
27歳になったばかりのある日、ついに僕は世界で1000人ヘアカットを達成した。
今日はそのお話を…。
2015年6月25日のこと。
僕は南米ペルーにある世界遺産の町クスコにいた。
前日南米三大祭りであるインティライミを見るために山に登ったので、顔が日に焼けててなんだか酔っ払いみたいになっていた。
【前日の記事】
この日の予定はただ一つ。
1000人目のヘアカットをすること
泊まっていたCasa del Inkaを出て公園へ友達と一緒に向かう。
実は前日の時点で1000人目に誰をカットするかは決まっていた。
999人目は旅人のみほちゃん。
チリのサンティアゴで出会った保育士さん。
めっちゃロングをちょっと整えて、前髪をパッツン斜めに。
完成。
きれい。
そして…
そして1000人目はこの人。
チリのサンティアゴで出会った双子の旅人の姉、ユキちゃん。
ついに1000人目のヘアカット…。
Special Othersの大好きな歌であり、この旅のテーマソングLaurentechを流しながらカット開始。
他愛もない話をしていた気がする。
記憶力はいいはずなのに、なぜかあんまり覚えてない。
そんな中で道行く人が足を止めたり、不思議そうに見ていったり…
広場とは少し離れた公園だったので人通りもまばらで、いつも外でカットしているときよりも静かな感じだった。
特に緊張するわけでもなく
特に嬉しくなったり悲しくなったりするわけでもなく
ドキドキするわけでもなく…
僕はひたすらカットした。
道行く人にはどう写ったのだろう?
それはわからない。
まさか見ていた人たちも「世界一周した果に1000人カットしてるやつ」だなんて思ってなかったんだろうな笑
だんだんとヘアカットが終わりに近づくのがわかる。
「もう少し…。」
「終わったらどう思うんだろう?」
それは終わってみないとわからなかったし、実は終わってみてもよくわからなかった。
カットクロスを外して、ハサミを置いてもよくわからなかったし、涙が出てくるわけでもなかった。
僕は世界一周の旅をして1000人の髪を切るという目標を決めた。
それはまぎれもない”終わり”であり”ゴール”のはずだった。
だけどなぜか僕は終わっても満足はしなかったようだった。
いつもと変わらない瞬間
なんかただそんな思いだった。
カット後1枚写真を撮り、みんなで宿に戻った。
部屋にこもり、ブログを長らく読んでくれていた読者の皆様にとりあえず報告の意味も込めて「1000人カット終わりましたよ」って記事を書き始めたんだ。
SDカードを取り出し、読み込ませる。
韓国から始まったこの旅。
アジア、ヨーロッパ、中東、アフリカ、そして南米。
いろんなところでいろんな人と、いろんなことがあったんだなぁ…。
一人一人、髪を切って写真を撮った人たちの顔を見た。
僕は泣いた。
めっちゃ泣いた。
嬉しいとか悲しいとか悔しいとか辛いとか、たぶんそういう感情じゃない。
幸せとか不幸とかそういう気持ちでもない。
わからない。
わからないけど、ブログにあげる写真を選びながらずっと涙がとまらなかった。
『終わりよければすべて良し…』
有終の美だとか、終わりよければすべて良しとか、人は物事に終わりを決めようとし、その結果満足するように自分に言い聞かせる。
確かに何事もそうかもしれない。
悪い事が起こっても、終わりが良ければすべて納得できて最後は笑い話にできる。
そういう事なのかもしれない。
もしくは「よくやった」とか「よくがんばった」とか。
そういうふうに自身を労いたいのかもしれない。
だけど僕は”終わったこと”には感動もしなかったし「よく頑張ったな俺」とも思えなかった。
髪を切り終えて宿に戻るまで不思議に思っていたその理由が、写真を見ててふいに泣けてきた時にわかった気がした。
本当に大切なのはそこに至るまでの過程なんだなって…。
泣けるほどの事をしてきたからなんだなと気がついた。
僕はこの日のために旅をしてきたのか?
そう自分に問うと、答えはNOだった。
1000人を切るまでに出会った1〜999人すべての人は1000人カットの通過点だったけど、踏み台ではない。
1000人目を切る為に旅をしていたのではなく、1000人と出会う為に旅をしていたんだ。
そのために泣けるような努力をしたのかもしれない。
でも頑張ったつもりはなかった。
やりたかったからやっただけ。
ただ楽しかった。
誰かと出会うことも、髪を切ることも、新しい街に行くことも。
ただただ楽しかった。
そう気づくと同時にやっぱり嬉しくなった。
嘘でも幻でもなく、僕は1000人もの人と地球のアチコチで出会ったんだ。
やってよかった…と。
そして終わってみたら明らかに自分の人生は変わっていた。
というか、周りも変わっていた。
でもそれは1000人の髪を切ったから変わったのではなく、1000人の髪を切るために動き続けたことで人生や周りを自ら変えて行った結果なんだと思う。
一人の大切さ、一言の大切さ、一瞬の大切さ、一円の大切さ。
そういうちっさな事ほど大切なんだって気がついた旅でもあった。
実は僕は人に声をかけるのが苦手。
999人切り終わるまで相手から「切ってよ」と言われなければハサミは持たなかった。
ただの一度も「切らせてよ」と言ったことはなかった。
でも1000人目のユキちゃんだけは勇気を出してお願いしてみた。
「1000人目に切らせてくれませんか?」と。
今まで流れるようにお願いされる人だけを切ってきた僕からしたらある種のヤラセみたいなものだったのかもしれない。
でも知らない誰かよりも知ってる大切な人の方がいいと思ったからお願いした。
もちろんたまたま同じ街に滞在し、たまたま1000人目だったというタイミングもある。
1週間、いや1日違えばまた別の誰かのカットをしてただろうし、家族がいれば家族だったかもしれないし、友達とか他の大切な人だったかもしれない。
だからやっぱり流れに身を任せた結果だったのかな…。
それでもあの時一言声かけてみてよかったなと思う。
ユキちゃん、切らせてくれてありがとうございました。
でもそれは僕にとって”有終の美”にはならなかった。
なぜなら僕は、ハサミを置かなかったし帰国のチケットも探さなかったから。
世界一周の旅も、美容師としての旅もまだ終わっていない…。
行きたいところもやりたい事もまだある…。
というわけで、まだまだこれから旅日記は続きます。
ここから先に書くことは著書『世界を知るために旅に出たら日本を知る旅だった』に書いてないことしかありません。(本は1000人までだったので)
頑張って続きを書いてくので楽しみにしててください。
そして…。
この日カメラマンしてくれて素敵な写真を撮ってくたケニーさん、映像撮って編集してくれたりょうくん、本当にありがとうございました。
最後になりますが、1000人カットが終わった時に書いた記事もあわせてどうぞ。
カットした人たちの写真もたくさん載せてます
↓ ↓ ↓
長いですが、感想みたいなやつです。
それでは。
世界一周1000人ヘアカットの旅
2015/6/25
切った人→1000人・62ヶ国籍
世界一周→32ヵ国・436日目