昔は10年先どうなっていたいかと考えて生きていた。
子供の頃によく聞かれた「大人になったら何になりたい?」という質問は確実に10年以上先のことを伺っている。
大人になってからも数年先に美容室を開業させたいだとか、そういう事を考えていた。
そしてある時気がついた。
どんどん想像できる未来が近くなっていってるのだ、と。
昔は10年だったものが5年になり、3年になり、1年になり、ついには明日になってしまった。
僕は今東京へと向かっているバスの中でこれを書いている。
昨日東京から帰ってきたばかりなのに、24時間と待たずしてまたバスに乗ってしまっている。
昨日の今頃考えていた明日、つまり今は東京にいるはずではなかった。
だから帰ったのにまた行くことになってしまった。
今はもう予定を入れない生活というものし始めてしばらく経つ。
社会人からしたら信じられないことかもしれないが、朝何時に起きても明日どこにいてもいいという生活をしていると毎日が全く読めない。
自分が明日誰と何をして、その時何を考えているかさえさっぱりわからないのだ。
サラリーマン美容師をしていたときは月曜日にどこにいて何をしているか大体わかっていたし、もちろん東京で仕事があるのだから翌日まさか北海道にいるなんてこともあるわけがなかった。
簡単に想像できてしまう毎日がそこにあった。
1年後もこの会社で働いているのだろうなと思えば、1年後の月曜日もまたどこで何をしているかわかってしまう。
1年後のことがわかるのだから3年後のこともわかるような気がする。
会社を変えていたとしても、ハサミは持っているだろうとそんなことくらいは漠然と思うのだ。
しかしとにかくそんな生活をやめ、スケジュールが全く白紙という生活をしてみて気がついたことがあった。
想像ができない毎日というのはとてもリアルだと感じた。
自由なのではなく、リアルなのだ。
朝何時に起きてもいいとなれば、朝日とともに目が覚める。
夜何時に寝てもいいとなればわざわざ夜更かしはしない。
体調や天気にちゃんと左右される。
そのため体調を良くしておきたくて、朝7時半に酵素玄米と納豆と味噌汁を食べ、昼過ぎにスパイスカレーと酵素玄米を食べ、夜は焼き魚と酵素玄米と味噌汁を食べ、日本酒をちょびっと飲んで寝る。
ジジイのような生活であるが、すこぶる体調がいいのだ。
天気に左右されるというのは、雪が降ればわざわざ散歩などしないし、天気が良ければわざわざゴロゴロはしないということ。
必ず晴れるし、必ず雨がふるとが決まっているのだから規則的だと言える。
人間も動物である以上そこに依存するのは当たり前のことで、実はそういった生活こそ不規則なようで規則的に生きるということなのではないかと思った。
晴耕雨読という言葉があるが、晴れたら畑を耕すということは人間が長らくやってきたことだ。
ただ明日雨が降るのか晴れるのかだけはさっぱりわからないのだ。
今日の時点で明日畑を耕すかどうかなど決めようがない。
その中で変わらずやることといえばご飯を食べたり人と話したり寝たりすることだけだ。
それが生きるために絶対に必要なものだから、それは天気がなんであろうとやらなければならない、人間に課せられた義務のようなものだと思う。
僕はそんな真っ白なスケジュールの生活をしてみてハッとしたことがある。
現代社会では明日や明後日や1年後のことをしっかりと想像できることを規則的だというが、ただその代わりに絶対的にやるべきことがおろそかになっている。
ご飯を食べないで美容師をしてた過去の自分。
仕事が遅くまであって休みもないから寝ないで遊んでた自分。
晴れても雪でも太陽に当たらず室内でハサミを動かし続けていた自分。
ある程度未来のことを知ることができるかわりに、一体何を差し出していたのだろう。
今はその規則的だと言われている生活がとても不規則なもので良くないもののように思ってしまう。
もう1つなぜそれらが大切なことなのかと考えてみると、肉体的に人間は今日と明日では違うのではないかということがあげられる。
人間の70%は水だというが、今日1リットルの水を飲めばその70%のうちのいくらかは入れ替わる。
爪だって髪だって伸びるし、肌も生まれ変わる。
新陳代謝という言葉があるが、人間は日々作り変えられているのだ。
肌は2週間で生まれ変わるのであれば、2週間前の自分と今の自分は厳密に言うと別人ではないだろうか?
肌が汚い自分、肌がキレイな自分、どちらが良いかと言われれば当然後者であって、選べるのであれば誰もがそちらを選ぶ。
肌が汚い自分、肌がキレイな自分、どちらが気分がいいか。
人は自分のそういった変化に言動さえ左右されるものだと思う。
自信や意欲につながる。
そういった精神的なものや気持ち的なものも左右されるのであれば、仕事のパフォーマンスや人との関係性だって変わってくる。
つまり人生が変わってくる。
そういったものの根底にあるのは食事や睡眠や休息や人とのコミュニケーション、そして地球レベルでの規則的な生活なのだ。
ある程度の想像できる未来の中で日々を生きたとしても、本当に大切なものを見失わなければ人はどこまでも良い方向へ変わることができる。
だから1年後の想像ができないことは悪いことではない。
言い換えれば、安定神話にやられてしまってそれらを見失えば精神も病めば体もおかしくなれば人との関係もうまくいかなくなるだろう。
わからないという事は悪いことではなく、ただ単にそれが現実であるというだけなのだ。
その現実の世界の中で自分をどういうものにしたいのか、ただそれだけなのだろう。
3年5年先に大きな目標を掲げるよりも、ギリギリ想像できそうな明日1日を大切に生きたほうがいい。
明日1日、また明日1日を積み重ねていけば、人は変わっていきいつか夢を叶えることができるのだから。
そのために今日1日を大切に生きるべきだ。
晴れてれば散歩をし、雨が降っていたら読書をする。
キチンとご飯を食べ、早く寝て早く起きる。
仕事も頑張る、人とも会って話す。
大切なことを大切に生きれば、昨日の自分ではできなかったことが、今日はできるようになる。
今日の自分ができなかったことが、明日はできるようになる。
そんな魔法をかけられるのは、この世で唯一自分自身だけなのだ。